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酒井 忠義(さかい ただあき)は、江戸時代後期から末期の大名。若狭小浜藩の第12代、第14代藩主。小浜藩酒井家13代、15代。 == 生涯 == 第10代藩主酒井忠進の五男。幕末期の幕政に参与し、天保14年(1843年)から嘉永3年(1850年)の間と安政5年(1858年)から文久2年(1862年)の間、京都所司代を務めた。安政5年に将軍継嗣問題が起こると、南紀派を支持して一橋派を弾圧した。これが後の井伊直弼による安政の大獄の一因をなしたと言われている。また、和宮降嫁など公武合体にも尽力した。尊王攘夷派に恨まれ、寺田屋事件では標的にされている。 文久2年(1862年)に名を忠禄(ただとし)と改めるが、在職中の失政を問われて所司代を罷免、婿の忠氏に家督を譲り隠居謹慎に追い込まれた。明治元年(1868年)、忠氏が鳥羽・伏見の戦いに参戦して山陰道鎮撫軍に降伏すると、名代として上京・謝罪をするとともに、藩兵を新政府軍に派遣している。同年、佐幕的行動をとったとして謹慎処分を受けた忠氏の隠居を受け、藩主に返り咲いている。明治6年(1873年)、61歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「酒井忠義 (若狭国小浜藩主)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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